私の紀州くちくまの熱中小学校の使い方〜大谷芳史さん編〜

紀州くちくまの熱中小学校が私に与えた変化

写真中央 筆者

入学動機は友人へのお節介のため

 開校と同時に通い始めた紀州くちくまの熱中小学校。15年前にカナディアンカヌー製作教室に喜び勇んで通った隣町に、起業家を育てる学校ができたことをネットで見た。同級生の友人が先生を辞め柿農家になるという話を聞いていたので、のんびりした彼の起爆剤として、私はカヌーに行くついでに見聞でも広めようという考えで、その友人らと共に申し込んだ。

湧き上がってきた感情

 熱中小学校に通い始めて、ほどなく事務局長から部活を立ち上げないかとのお誘いをいただいた。自宅も結構遠いので責任が負えないとその時は遠慮させてもらった。理由はそれだけではなく、人の面倒を見るのは仕事で十分だという思いがあった。過去、私は特別養護老人ホームで立ち上げを任されたが、多くの人の絶え間ない要求に疲弊した。その一方で多くの人を集め教育施設を立ち上げ、運営する取り組みを俯瞰したいと思っていた。事務局長はそのことを感じ、私に興味を持っていたのだろう。力量を量るがごとく、事あるごとに私に機会を与えた。

 熱中小学校第1期を終えたころ、私はあることをやめた。今、私は高齢者の住まいと介護サービスを事業運営している。その新たな事業展開の計画をやめたのだ。用地や人材の確保が難航しているとか、もちろんそういった背景はある。ただ、熱中小学校で授業を受けたおかげで、大学院時代に学んだ地域経済、地域おこし、今でいう地方創生の実践を、この熱中小学校と共に純粋にやりたくなった。そこで友人の志に便乗し、食品会社社長である教頭に柿ブランデーを作れないかと相談をした。そんな不遜な私を社長は面白がり、後日柿関連の試作品を作ってくれた。併せて事務局長に申し出て、キャンプやカヌーを行うアウトドア部を創部した。募集すると望外に参加希望をいただいたので、カヌー工房の協力を得て春にイベント開催を行うことにした。

自身への見つめと新たな目標

 しかしながら、私がなぜ本業での事業展開の計画をやめてまで熱中小学校と共に地方創生を考えるようになったのか。熱中小学校の授業に影響を受けたからに他ならない。たとえばカヌーイベント前日の授業、その1時間目は生駒大壱先生(株式会社旺文社 代表取締役社長)。不況の出版業界の中にありながら、会社の業績が右肩上がりだそうだ。そんな先生が言う企画の秘訣は「俺はまだ本気出しちゃいない」という時間を多くとることだそうだ。大人が職場や家庭で口に出すと簡単に信頼をなくす言葉だ。2時間目は犬飼博士先生(eスポーツプロデューサー)。テンションを上げて考えていることを話す。必死に伝えようとするから熱を帯びる。頭の回転も早い。論理立っているけれど、恐らくは過去に口滑らせて失言したはず。熱中小学校の先生らに共通するのは、進むべき志に徹頭徹尾純粋で、かつ篤志家だ。だから後ろめたさもなく、危うく感じるぐらい無邪気なのだ。

 それらの授業に影響を受け高揚した篤志家気分の自分は、出席を重ねるうちに自身に違和感を持つようになった。というのも、私の会社は居場所を失った高齢者を支えるために立ち上げた。あれから13年たち不足は満たされ、我々に求められるものも変化し、実績は重ねるものの自由を失った。そういった状況で私が会社で立ち回る理由が希薄化した。であるならば、今の会社を守りつつ、新たな志を欲張ってもいいのではないかと考えるようになっていった。

 そうなると地方創生のアイデアは溢れんばかりに出てきた。はやる気持ちを抑えられず、信頼する経営者の友人に「新たにある事業を起こしてくれないか。私は地元を変えるには起業家をたくさん作ることが大切だと思う。だから、私はその土台となりたいのだ。」と伝えたところ真剣に受け止めてくれた。自然と友人や仲間は増え、また増やそうという欲も出てきた。熱中小学校は、私の心にエネルギーを注ぎ環境に変化を与えたのである。

与えられた安心感

 今日私が企画したカヌーイベントに、先日安倍首相と笑顔で一緒に握手していた熱中小学校代表理事の堀田さんがいる。なんと今期、紀州くちくまの熱中小学校の生徒となったのだ。そんな堀田さんがカヌーでひとしきり遊んだ後、自身の携帯を失くした。私の携帯を使って車のなかで不安げに探している。携帯は見つかった。ただし、見つけたのは生徒だ。苦笑いしながら、私の携帯を私に返した。堀田さんの表情の動きは湖の雰囲気と相まってなにか温かく、挑戦していく私に安心感を与えるのに十分だった。7歳の目線で世界を・・・。今なら、やれそうな気がする。